時間やスケジュールを管理するのが嫌いだった。
時間は概念だが、それが人のように私を縛りつけてるように感じたから。
「はい〇時になったからゲーム終わり。次から〇時まで勉強しなさい」
「はいもう寝る時間。なにもしてはならない。寝なさい」
「はい今からお風呂。その後食事」
自由がないと感じないか?
その通りにしないといけない。
それも毎日。
それが実践前からやりたくないという気持ちにさせていた。
だが今は、それが思い込みだとも考えている。
その縛ってくる奴は誰だ?
時間?いや?親か?いや?
自分だ。
自分がやることに時間を決めているだけ。
それを何故縛られると感じる必要があったのか。
例えば好きなゲームをとある配信者が、ある日の夜7時に配信すると予告する。
その時間に観れるようにスケジュール管理し、アラームをセットする。
これを縛ると考えるか?
自分の好きなことなのに?
そう。
自分は時間の管理を、知らない誰かに嫌なことを強制的にやらされるという強迫観念があったんだ。
でも実際は、自分が好きなことやしようと思うことに時間を決めるだけ。
誰に縛られるわけでもない。
一体、何がそう思わせたんだろうか。
覚えはないが、昔の親からの教育の中にそういうトラウマのようなものがあったのかもしれない。
「かも」だから親のせいにするつもりはないが。
とにかく、時間を管理することはそのままの通り「自分が管理する」ことであり、「誰かから管理される」ものじゃない。
やるもやらぬも自由なんだ。
ということで、まずは自由に手軽に時間を管理してみることにした。
生活時間
正直決めたくない。
基本的に好きな時に食べ、寝たい。
ただ、いつまでも食べなかったり、変な時間に寝たり、風呂に入らないままゲームだけで休みが終わったりするのを見過ごすこともできない。
そんなことをするから、胃に物があるままで寝て、質の悪い目覚めになったり、長時間寝過ぎて観たい配信を逃したり、不潔なままで仕事に行ったりする。
好きなことをしてるはずなのに、その後に後悔する。
ならば後悔がまったくない状態で好きなことをするのがベストじゃないか?
その為にはしっかりと時間を決めて、食事や入浴、睡眠を摂るべきだろう。
必要だから決めるのだ。
勉強時間
生活の次に大事なのは趣味と仕事だ。
生きることは大事として、ならばどう生きたいかが次になると思う。
その生き方の中に趣味と仕事が共存していて、したいことができる仕事に就き、その仕事で稼いだお金で好きなことをして生きるのが理想の生き方だろう。
したいことはたくさんあって、したくないことは今の仕事だ。
やりたい仕事ではない。
ただ、やりたい仕事が見つかっていない。
そしてお金はいる。
であるからして必然的に仕事より普段の休みにやる好きなことが優先されるわけだが、それは際限がなくいつまでも出来てしまう。
ゲーム、動画視聴、ボーッとすること、寝ること。
対して仕事は仕事の日に出勤して、必要な作業をすればそれで良いわけだが、最近会社が資格取得についてうるさく追求してくる。
それを避けてきたが、もういい加減疲れてきた。
正直、ストレスという形で私生活に影響を及ぼしている。
なので会社にも突き返せるように、資格取得の時間も作り、勉強する必要が出てきた。
普段の仕事は最低限必要なことだけに止め、そこで生まれた余裕を家での勉学に回そうと考えている。
仕事も全力!勉強も全力!なんて会社に都合のいい人間になるつもりは、今の自分にはない。
何かを要求するなら、何かを辞めさせてもらうまでだ。
いくらでも出来てしまう好きなことの中に、勉強の時間を作り、その勉強が終わればあとは好き放題やるというスタイルにしようと考えている。
とりあえずキッチリとは決めず、ザックリとで。
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